境内・寺宝
本堂外観
当山の諸堂は昭和20年(1945)の戦火で全焼し、戦後に再建されたものです。
御本尊・釈迦如来坐像は10世紀作とみられる貴重な御仏です。
また当山ゆかりの白隠禅師の書画を所蔵し、行事の折に公開するほか、各地の展覧会等へ出品しています。

本堂

本堂の扁額「爪牙窟」(そうがくつ)は白隠禅師の筆によるもの。戦火に覆われた際、他の落下物の下敷きとなって奇跡的に残りました。爪牙(そうが)とは文字通り、相手を攻撃する武器であり、主君を守り手足となって働くということ。白隠は〈釈迦の教えを守る場所、あるいは仏道のために身を粉にする者たちの修行の場〉という意を込めたと思われます。「牙」の字の上部が白く逆三角形になっており、ここだけ焦げずに残りました。

堂内は正面須弥壇に釈迦三尊(釈迦如来、文殊菩薩、普賢菩薩)を、脇の床の間に達磨像をお祀りしています。また須弥壇裏の位牌堂では、檀信徒の御位牌を大切にお守りしています。

  • 扁額
    扁額
  • 達磨像と白隠達磨画
    達磨像
  • 釈迦三尊
    釈迦三尊
  • 位牌堂
    位牌堂

本尊

本堂にお祀りする御本尊・釈迦如来坐像は2003年に修復した際、CT画像調査等を行い、10世紀の作と推定されました。

調査を担当した櫻庭裕介氏(早稲田大学奈良美術研究所)より「本像は針葉樹材の一木造りであり、耳朶に環を造らず、やや反り返り、眼は眼球のふくらみが確認できるものの瞳が浅く茫洋としている。胸部は非常に量感があり、衲衣の一部に渦紋も確認できる。これら造形的特徴及び用いられた技法等を総合すると、10世紀にまで遡る貴重な像と思われる。なお頭頂部分の螺髪材及び左右前腕より先、膝前材は近世の後補である。本像と酷似した像として大平寺阿弥陀如来像(大阪府)、大法寺十一面観音菩薩立像(長野県)、禅定寺阿弥陀如来坐像(島根県)、禅定寺聖観音菩薩立像(島根県)が挙げられる」との報告を受けました。

本尊の修復は櫻庭氏、脇侍の文殊菩薩・普賢菩薩は、成田山新勝寺や身延山久遠寺等の仏像を製作した実績を持つ仏師・渡邉雅文氏が製作しました。

山門

戦火を逃れましたが、老朽化のため、平成12年(2000)に再建しました。

庫裏

寺族が居住する建物で、檀信徒の会合等にもご利用いただいています。玄関奥では護法神「韋駄天」をお祀りしています。当山にご用向きの折は庫裏玄関までお声かけください。

韋駄天
韋駄天

薬師堂

鎌倉時代の作と伝わる薬師如来は、もとは寺の前にあった当山塔頭法西寺の本尊でした。明治初年に合寺となった際、当山境内に薬師堂を建立して移し、右に馬頭観音とその両脇に弘法大師と開山禅師、左に弁財天をお祀りしました。毎年1月8日の初薬師縁日は、戦前まで老若男女で賑わったと伝わります。現在の建物は平成9年(1997)に再建したもの。諸法要のほか、月2回の坐禅会に使用しています。

地蔵堂

地蔵菩薩は路傍に立ち、六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天)のあらゆるものの苦悩を肩代わりし、亡者・子どもを守護してくださる菩薩です。墓参の折はどうぞお手をお合わせください。

書院「石習庵」

歴代、修行僧が禅学に勤しんだ書院。現在は写経道場等として使用しています。書院前の庭園は白桃、枝垂桜、ツツジ等が春を彩り、水車が回る錦鯉の池が湧水地の面影を伝えます。

墓地

寺院墓地は芝生と緑に囲まれ、清々しくお参りいただけます。
永代供養は宗旨・宗派問わず、どなたでもご利用いただけます。

  • 永代供養の萬霊塔

禅叢寺ホール「アミターユス」

檀信徒向けの会葬ホール。アミターユスとは「阿弥陀如来」のサンスクリット読みです。阿弥陀三尊(阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩)をお祀りしています。

通夜・出棺・葬儀・食事・各種会合・各種イベント・カルチャー等、一般にも開放しています。

  • 阿弥陀三尊

白隠画「蛤蜊観音図」(静岡県指定文化財・通常非公開)

延享―宝暦年間(1744―53)、白隠60代末~70代初めの作。
129.7cm×161.2cm。

蛤蜊観音は法華経普門品に由来する三十三観音の一つ。観音は白隠にとって特別な画題と思われます。視線は伏し目がちで穏やかな表情のものが多い。釈迦でも達磨でも布袋でもすべて自画像的な意識が濃厚な白隠禅画の中で、唯一、観音のみにそんな意識がほとんど見られない。白隠は観音に母の面影を重ねていたのではないでしょうか。(「別冊太陽―白穏」芳澤勝弘氏解説より)

白隠画「涅槃経擎油鉢喩図」(静岡県指定文化財・通常非公開)

明和4年(1767)、白隠83歳の作。132cm×97.7cm。

賛にあるのは涅槃経に出る話。ある王が臣下に、油を入れた鉢を持って二十五里の道を運ぶことを命じた。一滴でもこぼしたらただちに汝が命を絶つと、その後に刀を抜いた男を付けた。臣下はその恐怖によって身を律して、一滴もこぼさず目的を達した。器に油を盛り湛えるとは、真に優れた修行者が工夫綿密にして相続して純一無雑になること。一滴の油もこぼさぬとは、いかなる微細念も起こすまいというところ。このような覚悟で修行せよと説いた図です。(「白隠展―禅画にこめたメッセージ」芳澤勝弘氏解説より)€

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